いまやMLBの象徴的存在となった大谷翔平選手ですが、メジャー挑戦当初から評価が盤石だったわけではありません。
エンゼルスの元GMビリー・エプラー氏は、MLB公式ネットワークの番組内で「本当にメジャーでやれるのか」という疑問が球団内外にあったことを率直に語りました。
ただ、その“不安”は大谷選手の価値を否定するものではなく、未知への挑戦に伴う現実的な揺れでもありました。
この記事では、エプラー氏の証言を軸に「なぜ疑念が生まれたのか」「なぜそれでも獲得に踏み切れたのか」「結果として何が起きたのか」を、肯定的に整理します。
元エンゼルスGMエプラー氏が語った「本当にメジャーでやれるのか」という空気

エプラー氏が振り返ったのは、メジャー1年目の開幕前後、特に春季キャンプから開幕週にかけての空気感です。
本人の言葉によれば、当初の大谷選手は決して“最初から順風満帆”ではなく、内部も含めて周囲に疑問や不安が広がる局面があったといいます。
このポイントは重要です。
大谷翔平という存在が、当時はまだ「前例がない挑戦者」だったからです。投打二刀流を“メジャーで同時に成立させる”前例はほぼなく、評価の軸そのものが定まり切っていませんでした。
「投手としては明確だった」一方で、打者評価は読み切れなかった
エプラー氏は、大谷選手を投手としては高く評価していた一方、打撃面では見通しが簡単ではなかったと証言しています。
走塁に関してはストライドが大きく滑らかで高評価だったものの、「OPS1.000級のスラッガーになる」とまで予想できたかという点では、そこまで確信を持てなかったという趣旨でした。
つまり、当時の疑念は「能力がない」という話ではありません。
“どこまで天井が伸びるか”が読みにくい、という種類の迷いです。
疑念が出たのは自然です|大谷翔平のMLB挑戦は「前例がない評価不能」だった
メジャー移籍直後の評価が割れやすかった理由は、シンプルに前例が少なすぎたからです。
二刀流のまま移籍し、起用法まで含めて新しい仕組みを作る必要がありました。
特にMLBは、環境が一気に変わります。
球速、変化球の質、配球の複雑さ、移動、時差、メディア対応、そして注目度。日本で成立していた“当たり前”が、そのままでは通用しない場面も出ます。
その中で最初の春季キャンプや開幕直後に苦労が見えたとしても、それは挑戦が本物だった証拠でもあります。
むしろ、そこで疑問が出るのは健全です。大谷翔平というプロジェクトが「未知の領域」を走っていたからです。
「平凡以上にはなれる」から「最高の打者」へのジャンプは別物
エプラー氏の発言で核心なのは、ここです。
平均以上の打者になる期待と、リーグ最高峰の打者になる確信は、別次元です。
MLBで“最高の打者”と言われる領域は、技術だけでなく、適応速度、故障回避、微調整の精度、そして長期の再現性が求められます。
大谷選手は結果として、そのすべてを押し上げていきましたが、それを移籍時点で確定的に読み切るのは難しかった、という話です。
エンゼルスが獲得を決めた本質は「才能」だけではなく「環境設計」だった

疑念があっても獲得に踏み切れた理由を、エプラー氏は「長年投手としても野手としてもスカウティングしてきた」「あの才能が本当に欲しかった」と語っています。
そして交渉では、単に金額や条件だけではなく「どう起用するか」「やりやすい環境を作れるか」に焦点を当てたといいます。
ここは、大谷翔平の成功を読み解くうえで外せません。
二刀流は“本人の努力”だけで成立するものではなく、球団側の設計が必要です。
「守る」と決めた組織は強い|雑音からの防波堤が二刀流を育てる
エプラー氏は、周囲の疑問や不安から大谷選手を守るため、球団が一枚岩になったとも振り返っています。
挑戦者にとって厳しいのは、成績そのものより「評価の揺れ」や「雑音」が日常に入り込むことです。
二刀流は挑戦の性質上、どうしても議論が起きやすい分野です。
だからこそ、球団が“守る”と決め、起用法と環境を整えることは、競技の再現性を守る行為になります。
10年7億ドル契約へ|疑念を超えて「球界の顔」になった大谷翔平
大谷選手はその後、メジャーでも投打二刀流を確立し、唯一無二の存在となりました。
そしてドジャースとは、2023年12月に10年総額7億ドルという歴史的契約を結び、野球界の中心へと立ちました。
移籍当初にあった疑念は、結果として「前例がない挑戦」を証明するための通過点だったとも言えます。
疑われたからこそ価値があるのではなく、疑われても崩れない設計と適応があったからこそ、価値が確定していったのです。
「捨てて来たものが多い」挑戦者の覚悟が、周囲の覚悟も引き出した
エプラー氏は、大谷選手が「多くのものを捨ててメジャーに来た」と語っています。
この言葉が示すのは、才能の話だけではありません。覚悟の質です。
そして、その覚悟は周囲の姿勢を変えます。
「支える」「守る」「環境を作る」という球団側の決意は、挑戦者の覚悟が引き出した面もあります。大谷翔平は、自分の挑戦に周囲を巻き込み、組織を動かす力も持っていたと言えます。
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本当にメジャーでやれるのか?元エンゼルスGMが明かした大谷翔平への疑念まとめ
大谷翔平選手のMLB挑戦当初、「本当にメジャーでやれるのか」という疑念が出たのは、能力不足ではなく“前例がない挑戦”だったからです。
元エンゼルスGMビリー・エプラー氏が語ったのは、投手としての高評価と、打者としての天井を読み切りにくかった現実、そしてそれでも獲得を進めた理由でした。
エンゼルスが重視したのは、才能の一点買いではなく、起用法と環境づくりという設計です。
その設計と本人の適応が積み重なり、大谷選手は二刀流をメジャーで成立させ、ドジャースとの10年7億ドル契約へと到達しました。
疑念は、挑戦の価値を下げるものではありません。
疑念が出るほど難しい挑戦を、再現性と進化で突破したことこそが、大谷翔平という存在を“唯一無二”にしています。

