氷室京介と聞いてどんなイメージが浮かびますか?
80年代に人気を博したロックバンド・BOØWYのボーカリストとして活躍した姿?
それともソロ活動で数々のヒット曲を生み出した姿?
氷室京介は日本の音楽界に多大な影響を与えたレジェンドですが、その素顔やプロフィールはあまり知られていません。
そこで今回は、氷室京介の本名や家族、音楽活動の歴史などを徹底解説します!
氷室京介の本名は?
氷室京介という名前は芸名であり、本名は「寺西修(てらにしおさむ)」です。
1960年10月7日生まれで、群馬県高崎市倉賀野町出身です。
氷室京介という芸名は、高校時代に音楽を始めたときに付けたもので、氷室という姓は「冷たくてかっこいい」というイメージから、京介という名前は「京都の介護士」という意味から選んだそうです。
BOØWY時代の氷室京介
氷室京介は高校二年生の時に音楽を始め、上京後にバンド活動をしました。
1980年にプロデビューしたものの、思い通りにならないことが多く脱退しました。
その後、布袋寅泰と出会い、BOØWYを結成しました。
BOØWYは1982年にアルバム『MORAL』で再デビューし、1988年に解散するまでに数々のヒット曲を生み出しました。
代表曲には「ONLY YOU」「BAD FEELING」「MARIONETTE」「CLOUDY HEART」「NO. NEW YORK」などがあります。
氷室京介はBOØWYのボーカリストとして、独特の歌唱法やパフォーマンスでファンを魅了しました。
また、森雪之丞や松井五郎などの作詞家とコラボレーションして、自身も作詞に挑戦しました。
ソロ活動の氷室京介
BOØWY解散後はソロ活動を開始し、シングル「ANGEL」やアルバム『Flowers for Algernon』などで成功を収めました。
1997年に家族と共にロサンゼルスに移住し、国外での音楽制作が増えました。
近年はセルフプロデュースが主でした。
ソロ活動では、「KISS ME」「VIRGIN BEAT」「SUMMER GAME」「JEALOUSYを眠らせて」「SQUALL」「WILD AT NIGHT」などの曲がヒットしました。
また、「ダイヤモンドダストが消えぬまに」「HEAT」「LOVE & GAME」などのドラマ主題歌や、「EASY LOVE」「STAY」などの映画主題歌も担当しました。
氷室京介の家族
氷室京介は既婚で、2男1女の父親です。
妻の名前や顔は公表されていませんが、1994年に結婚したということです。
子供たちも音楽や芸能界に興味がないそうで、普通の生活を送っていると言われています。
氷室京介の引退
氷室京介は2019年12月31日にラストライブを行い、音楽活動から引退することを発表しました。
理由は明かされていませんが、健康上(耳の不調が原因)の問題や家族との時間を大切にしたいということだったのではないかと推測されています。
引退後は音楽関係者やファンから惜しまれる声が多く寄せられましたが、本人は「これからも自分らしく生きていきたい」と語っています。
氷室京介本名まとめ
氷室京介は日本の音楽界に多大な影響を与えたレジェンドですが、その本名やプロフィールはあまり知られていませんでした。
この記事では、氷室京介の本名や家族、BOØWY時代からソロ活動、そして引退までの軌跡を紹介しました。
氷室京介は音楽活動から引退しましたが、その歌声や魅力は忘れられません。
氷室京介のファンの方も、そうでない方も、ぜひこの記事を読んで、氷室京介の素晴らしさを感じてください。
あなたは氷室京介についてどう思いますか?
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最後までご覧いただきありがとうございました!
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