長嶋茂雄×ドジャース“幻のトレード”の真相を徹底解説!メジャー移籍計画の舞台裏と実現していた場合のNPB・MLB史への影響

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ドジャースが長嶋茂雄を本気で欲した理由とは?

1958年に巨人へ入団した長嶋茂雄選手は、新人王に加えて本塁打王と打点王を獲得し、一躍スターとなりました。

翌年の日米野球では全日本の主砲としてカージナルス投手陣から13安打を量産し、メジャー関係者の度肝を抜きます。

特にロサンゼルス・ドジャースは、三塁手の補強ポイントと長嶋選手のスター性が合致し、チーム力と興行面の双方で大きな期待を寄せたのです。

引用元:Number Web

1964年当時のドジャース三塁事情はどうなっていた?

1964年のドジャース開幕スタメンでは三塁をジョニー・ワーハスが務めましたが、シーズン途中からジム・ギリアムが兼任するなど固定できていませんでした。

投手陣にはサンディ・コーファックスやドン・ドライスデールという球史に残るエースがいた一方、攻守の要となる三塁は最大の弱点。

長嶋茂雄の獲得は“最後のピース”と見なされていたのです。

引用元:時事通信

長嶋茂雄がメジャー挑戦していたら成績はどう予想される?

長嶋選手自身は

「メジャーでは中距離打者で、打率2割7〜8分ほど」

と控えめに語っていました。

しかし、当時のドジャース本拠地ドジャー・スタジアムは広く、スピードと守備力が評価されやすい環境です。

仮に打率.280、15本塁打、出塁率.350前後を維持できれば、ゴールドグラブ級の守備と合わせてオールスター級の三塁手として評価された可能性は十分にあります。

引用元:YouTube動画

ウォルター・オマリーと巨人・正力オーナーの駆け引きとは?

1963年オフ、ドジャースの名物オーナー、ウォルター・オマリー氏は来日中に巨人へ正式オファーを提示しました。

しかし正力松太郎オーナーは「長嶋は巨人の顔」として断固拒否。

当時のNPBはスター選手流出への危機感が高く、放映権・観客動員など国内ビジネスへの影響を恐れたのが実情です。

こうして“幻のトレード”は水面下で立ち消えとなりました。

“ド軍ユニ”でプレーした1試合とはどんなものだった?

1967年春、巨人は再びフロリダ州ベロビーチでドジャースと合同キャンプを行いました。

その際の紅白戦で長嶋茂雄はドジャース側のユニフォームに袖を通し、途中から三塁を守備。

非公式戦ながら“ドジャース長嶋”が実現した貴重な一日となりました。

観客と報道陣は一瞬の夢舞台に大歓声を送り、球団首脳陣も改めてその実力を確認したと言われます。

引用元:日刊スポーツ

もし長嶋が渡米していたらNPBとMLBの歴史は変わった?

長嶋茂雄が1964年にドジャース入りしていた場合、巨人の「V9」は実現が難しかったでしょう。

また、日本人メジャーリーガー第1号が村上雅則投手(1964年ジャイアンツ)から長嶋へ変わり、以降の国際移籍の流れが前倒しされた可能性があります。

現在大谷翔平、山本由伸、佐々木朗希らがドジャースで活躍する姿も、半世紀前の“先駆者”として長嶋の名前が語り継がれていたかもしれません。

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長嶋茂雄ドジャースまとめ

長嶋茂雄とロサンゼルス・ドジャースの“幻のトレード”は、球史に残る壮大な「もしも」の物語です。

三塁補強を渇望するドジャースと、日本球界の象徴を手放せない巨人。

その思惑が交錯した結果、長嶋選手は生涯を通じて巨人一筋のレジェンドとなりました。

とはいえ、ドジャースのユニフォームを着た一瞬の記憶は、日米野球交流史に刻まれた小さな奇跡としてファンを魅了し続けます。


よくある質問(Q&A)

Q1. ドジャースは長嶋茂雄にどの程度の条件を提示していたのですか?
A1. 正確な年俸額は公開されていませんが、当時のメジャー最高クラスに匹敵する条件だったと伝えられます。移籍金も高額で、巨人にとっては経済的メリットも大きかったと言われます。

Q2. 巨人はなぜオファーを拒否したのですか?
A2. 長嶋茂雄は球団と日本プロ野球の象徴的存在であり、観客動員やテレビ視聴率への影響が甚大と判断されたためです。

Q3. 長嶋茂雄がメジャーへ行っていたら日本プロ野球の人気は低下したのでしょうか?
A3. 一時的な打撃は避けられなかったと考えられますが、逆に国際移籍が活発化してNPBのレベルアップが早まった可能性もあります。

Q4. 長嶋茂雄以外に当時ドジャースが注目していた日本人選手はいますか?
A4. 具体的な名前は少ないものの、投手力を重視していたドジャースは堀内庄や藤田元司らにも興味を示していたとする証言があります。

Q5. 現在のドジャースが日本人選手を多く獲得する背景にはこの歴史が影響していますか?
A5. ウォルター・オマリー時代から築かれた日米交流の土壌があり、近年の大谷翔平選手や山本由伸投手の加入もその延長線上にあると言えます。

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