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佐々木朗希が語る「誰もいなかったので、寂しかった」——ドジャースでのはじめの3カ月と大谷翔平・山本由伸が示した“心配無用”の信頼とは?

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目次

佐々木朗希のメジャー初登板、なぜ大谷翔平と山本由伸はその場にいなかったのか?

引用元:毎日新聞

2025年3月4日、アリゾナ州グレンデールで行われたレッズとのオープン戦は、MLBファンにとって記念すべき一日となりました。

大谷翔平、山本由伸、佐々木朗希――いわゆる「侍トリオ」が揃って出場した、豪華なオープン戦だったからです。

先発した山本が4回を投げ終えると、5回からマウンドに上がったのは佐々木朗希投手。

米国デビュー戦にもかかわらず、3回2安打無失点、5奪三振という堂々たるピッチングで周囲を唸らせました。

しかしその頃、ベンチに大谷と山本の姿はすでになく、佐々木がクラブハウスに戻ったとき、そこに先輩の姿はありませんでした。

「誰もいなかったので、寂しかったですけど……」

佐々木は笑顔でこう振り返りました。

この“寂しさ”の裏には、実は2人の先輩が若き怪物に寄せる揺るぎない信頼がありました。

あえて最後まで見届ける必要がないほど、彼の実力を理解しているからこそ――2人は早々に球場を後にしたのです。

なぜMLB20球団以上が佐々木朗希に注目したのか?

引用元:中日新聞

2023年12月10日、佐々木朗希がポスティング申請を完了した瞬間、MLBのストーブリーグは一気にヒートアップしました。

「25歳ルール」

のため契約金・年俸の上限がある佐々木は、資金的な制約が少ない

「最高の投資対象」

として、多くの球団が興味を示しました。

代理人ジョエル・ウルフ氏のもとには20球団以上から問い合わせが殺到。

SNSでは連日、彼の投球動画が拡散され、「Roki Sasaki」の名前が全米で飛び交いました。

FA交渉でプライベートジェットの動きまで追跡された大谷翔平の移籍報道を彷彿とさせるほど、情報はリアルタイムで拡散。

入札制度時代の松坂大輔やダルビッシュ有の移籍交渉時とは異なる、現代的な大争奪戦となったのです。

ドジャースを選んだ決め手は?「日本人選手の有無」より重視した育成プランとは?

引用元:日本経済新聞

佐々木は代理人とともに極秘で渡米し、少なくとも8球団と一次面接を実施しました。

その際、全球団に対し

「球速低下の原因と対策」

について独自レポートの提出を求めたのです。

「僕の中では全部足りない」

と自己分析する佐々木にとって、最も重要だったのは短期的な待遇ではなく

「中長期的な育成プラン」。

「日本人選手が在籍しているかどうかは決断に影響しなかった」

と語る通り、彼の判断基準はブレることがありませんでした。

そのうえでブルージェイズ、パドレス、ドジャースと最終交渉を重ねた結果、1月17日、佐々木は自身のSNSでドジャース移籍を発表。

契約金は650万ドル(約10億円)、背番号は「11」。

この決断はMLB全体を揺るがすニュースとなりました。

ロサンゼルスでの入団会見で見せた“令和の怪物”の強い意志とは?

引用元:デイリースポーツ

入団会見は1月22日、イチロー氏の殿堂入り発表を避けるかのように開催されました。

壇上で佐々木は力強く語りました。

「自分が選手として一番成長できる場所を、純粋に選ぶことのできる一生に一度の機会をかみしめて、この1カ月を過ごしました」

体力面や経験不足から

「時期尚早」

との声もあった中、彼は信念を貫いて太平洋を渡る決断をしました。

さらに、ロサンゼルスで発生した大火災に対しても、自ら被災経験を踏まえ、市民への真摯なメッセージを発信。

その姿勢に約200人の報道陣が静まり返ったといいます。

キャンプ初日のライブBPでは、大谷・山本・ベッツ・フリーマンら50人以上が見守る中で投球。

「思ったより人が多くてびっくりしたけど緊張はしなかった」

と涼しい顔で答えるなど、大舞台でも動じない精神力を見せました。

電撃結婚発表も!私生活と野球の両立にかける覚悟とは?

2月21日、佐々木は突然の結婚を発表。会見では

「変なことを言わないように」

と笑いつつ、大谷と山本へ報告したとき

「最初、信じてくれなかった」

と明かしました。

好きな手料理を聞かれて

「全部です」

と照れる姿は、マウンド上のクールな表情とは対照的。

23歳にしてメジャー移籍と結婚という2つの大きな決断を下した彼にとって、2025年はまさに人生の転機となりました。

佐々木朗希ドジャースはじめの3カ月まとめ

佐々木朗希のドジャースでの“はじめの3カ月”は、派手な言動こそないものの、彼の芯の強さと周囲からの圧倒的な信頼が詰まった時間でした。

大谷翔平と山本由伸が「心配無用」と言わんばかりに彼の初登板を見届けなかったのは、実力への揺るぎない信頼の証。

そして、20球団以上を巻き込んだ移籍交渉、ロサンゼルスでの強い決意表明、そして電撃結婚と、すべてが未来のサイ・ヤング賞候補としての覚悟と成長を物語っています。

今後、MLBのマウンドで彼がどこまで羽ばたくのか――その物語はまだ始まったばかりです。


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Q&A

Q:佐々木朗希の米国デビュー戦はいつでしたか?
A:2025年3月4日、レッズとのオープン戦でした。

Q:大谷翔平と山本由伸が初登板を最後まで見なかった理由は?
A:彼の実力を信頼しており、特別視せず“いつも通り”の行動を取ったと考えられます。

Q:なぜドジャースを選んだのですか?
A:日本人選手の有無よりも、中長期的な育成プランと成長環境を重視したからです。

Q:背番号11の由来は?
A:当時の背番号11だったミゲル・ロハス選手から譲り受けました。

Q:結婚発表はいつでしたか?
A:2025年2月21日です。大谷、山本も当初は驚いたそうです。

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