大谷翔平が45号本塁打を放ったのはいつ?その試合で何が起こった?
ドジャースの大谷翔平選手は、現地時間8月24日(日本時間25日)の敵地パドレス戦で、9回に松井裕樹投手からソロホームランを放ち、今季45号を記録しました。
この一発によって試合は8–2と決定的なものになりました。
大谷選手は打席を終えた後、ヤジを飛ばしていたファンのもとへ歩み寄り、
「How you like that?」
と笑顔でハイタッチし、遊び心あふれる一幕も演出しました。
なぜ“史上3度目”と評価されているのか?
データに特化した米国スポーツメディア「Opta Stats」は、大谷選手が今シーズン45号に到達した3人目の選手(カル・レイリー捕手、カイル・シュワーバー外野手に次ぐ)であると紹介しました。
そして、MLB史上、9月を迎える前に3人以上の選手がシーズン45本塁打に到達したのは
「過去に2度のみ」
であると報じています。
その2つの年は1998年(マグワイア、グリフィーJr.、ソーサ、ボーン)と2001年(バリー・ボンズ、サミー・ソーサ、ルイス・ゴンザレス)です。
まさに“大谷選手らが今まさに“ステロイド時代”の幻のような記録を再現している”と注目されています。
過去に同様の記録があった1998年と2001年、どんな年だったの?

1998年
- マーク・マグワイアは当時のMLB最多となる70号本塁打、サミー・ソーサは66号を放ち、”ホームラン狂騒曲”という言葉が生まれました。
- グレッグ・ボーンも8月までに45本、最終的に50本をマーク。
- ケン・グリフィーJr.はア・リーグで56本塁打を記録しました。
2001年
- バリー・ボンズが73号という新記録を樹立。
- ソーサは64号と自己3度目の60本塁打超え。
- ルイス・ゴンザレスも57号という自己最多を大幅に更新しました。
ステロイド時代を経て——大谷選手の45号は特別な意味
かつてマグワイア、ソーサ、ボンズらが“ステロイド時代”の中で築いた数字と、大谷選手が現代の清廉な環境下で同様の快挙に挑んでいる点に強い意義があるとされています。
大谷翔平3選手以上9月前45本塁打まとめ
大谷翔平選手の45号本塁打は、単なる数字以上の意味を持ちます。
MLB史上3度目となる“9月前に3人以上が45本塁打”という快挙に名を連ね、1998年や2001年の“ステロイド時代”のスターたちと肩を並べる存在となりました。
彼がこのペースを維持し、50本、60本の大台に乗る日が来るのか——今後の活躍に大きな期待が寄せられます。
※大谷翔平選手やドジャースの最新情報発信!ショウタイムズはコチラ
よくある質問(Q&A)
Q1. どの選手が大谷選手と同様に9月前に45本塁打を記録したの?
A1. マリナーズのカル・レイリー捕手、フィリーズのカイル・シュワーバー外野手の2選手です。
Q2. そのような記録が過去に2度だけというのは本当ですか?
A2. はい、本当に史上3度(大谷選手らを含めて)しかありません。過去は1998年と2001年の2度のみです。
Q3. 1998年と2001年に活躍した選手たちにはどんな人物がいた?
A3. 1998年はマグワイア、ソーサ、グリフィーJr.、ボーン。2001年はボンズ、ソーサ、ゴンザレスが活躍しました。
Q4. 大谷選手の今季ペースはどれくらい?
A4. 55本塁打のペースで推移しており、50本塁打突破の期待が十分にあります。
Q5. なぜ“ステロイド時代”と比較されるの?
A5. 1990年代〜2000年代初頭に選手たちが薬物の影響が疑われる環境で記録を出していたため、大谷選手がクリーンな現代で同様の記録に迫っている点で、スポーツ史的にも大きな意味を持ちます。