ドジャース大谷翔平選手というと、「才能」「努力」「二刀流」といった言葉が浮かびますが、その裏側にはもう一つ、見落とされがちな武器があります。
それが 「叱られ力」=叱られたときの受け止め方・伸びに変える力 です。
10代〜20代前半という、もっとも伸びるゴールデンエイジに、
- 親からの具体的な指導
- 花巻東高校での厳しくも温かい生活指導
- 日本ハム〜MLB初期に浴びた批判や評価
をどう受け止めてきたのか。
この「叱られ力」の質が、いまの大谷翔平を作ったと言っても大げさではないほどです。
- 「叱られ力」とはそもそも何か?
- 大谷翔平が10代〜20代前半で、実際にどんな指導・叱られ方をされてきたのか?
- 私たちが仕事や勉強で真似できるポイントは何か?
を、できるだけ具体的に解説していきます。
「叱られ力」とは何か?なぜ大谷翔平にとって武器になったのか?

まず前提として、本記事で扱う「叱られ力」を整理しておきます。
ここでいう叱られ力とは、次の3つの総合力です。
- 叱られたときに感情で反発せず、「情報」として受け取る力
- 指摘を行動レベルに翻訳し、すぐ小さく試してみる力
- 叱られた内容をもとに、結果(プレーや成果)で返していく力
多くの人は、
- 注意された瞬間に「ムッ」としてしまう
- 「性格を否定された」と感じて落ち込む
- そのまま改善行動につながらない
という流れに入りがちです。
一方、大谷選手は10代のかなり早い段階から、
- 「叱られた=伸びしろを見つけてもらった」
- 「注意=次の一手を教えてもらった」
と捉え、感情ではなく“データ”として扱うスタイルを身につけてきました。
結果として、
- 指導者からのフィードバックを大量に取り込み
- 自分で「やるべき具体行動」に落とし込み
- 数ヶ月〜数年単位で見ると、圧倒的な成長カーブを描く
というサイクルができあがっています。
子どもの頃の大谷翔平はどんな「叱られ方」で伸びたのか?

父との「野球ノート」はどんな叱られ力トレーニングだったのか?
大谷選手の叱られ力の原点は、父・徹さんとの「野球ノート」だとよく語られます。
- 小学生の頃から、父がコーチ役となり
- 試合や練習のあとに、良かった点・反省点をノートに書き出す
- 父と息子がノートを行き来させながらコメントし合う
という習慣が、数年にわたって続いていました。
そこには、
- 「3回まではコントロールが良かった」
- 「高めのボールを追いかけすぎた」
といった 具体的な事実ベースのコメント とともに、
- 「もっと元気よく声を出そう」
- 「全力で走ること」
- 「常にハッスルしてプレーすること」
といった、エネルギー・努力・ハッスルを徹底する3つの基本 が繰り返し書かれていたと言われています。
ここで重要なのは、
- 叱る=怒鳴ることではなく
- ノートという“外部の器”に、事実と反省を書き出すことで冷静に振り返らせる
というスタイルだった点です。
このやり方によって、
- 「何が良くて、何が良くなかったのか」を言語化する
- 指摘を「自分の悪さ」ではなく「次の行動指針」として扱う
- 感情ではなく事実ベースで、自分のプレーを見つめ直す
という 叱られ力のベース が、自然と育っていきました。
叱られても「自分で考える」ように育てられていた?
父・徹さんは、いわゆるスパルタ型ではなく、
- やみくもに練習を増やすのではなく
- 「今日の自分のプレーから何を学ぶか」を言語化させる
というスタイルだったとされています。
このため大谷選手は、
- 「怒られる前に、先に自分から反省点を言葉にする」
- 「叱られた内容を、自分の言葉で再整理する」
という習慣を早くから獲得しています。
これは後の、
- コーチからの指摘
- メディアからの評価
- ファンや解説者からの声
を 一度“自分のノート”に落としてから、改善行動に変換する という大人の大谷スタイルにつながっていきます。
花巻東高校の厳しい指導を大谷翔平はどう「成長」に変えたのか?
寮生活・トイレ掃除・雪かきは何のためだったのか?
高校時代の大谷選手を語る上で欠かせないのが、花巻東高校・佐々木洋監督の指導です。
花巻東では、
- 選手たちは寮生活を送り
- 野球の技術だけでなく、生活面まで徹底的に指導される
という環境の中で、大谷選手も日々を過ごしていました。
具体的には、
- 寮のトイレ掃除を任され、常に「誰かのために整える」経験を積む
- 寝坊をしたときには、しばらく練習から外され「雪かき」に集中する期間を与えられる
といったエピソードが知られています。
一見すると「罰」に見えるこれらの指導も、
- どれだけ才能があっても、日常の基本がおろそかでは一流にはなれない
- 叱られたときに拗ねるのではなく、「次どうするか」にすぐ意識を向ける
- プレーヤーとしてだけでなく、人としての態度とメンタルの土台を作る
という狙いをもった“成長メニュー”でした。
大谷選手自身も、雪かきをさせられた経験を振り返り、
「自分がいちばん練習しなければいけない立場なのに、監督にそうさせてしまった状況を作ったことが悔しかった」
という趣旨のコメントを残しています。
ここにも、
- 叱られたことを「理不尽な罰」と受け取るのではなく
- 「自分が変わるきっかけ」に変換する視点
が表れています。
「目標シート」で叱られを“自分事化”していた?
花巻東高校では、いわゆるハラダメソッド(原田メソッド)と呼ばれる目標達成フレームを導入し、
- 選手自身に「自分の大きな目標」
- そのための「行動」「習慣」「性格」
などを細かく書かせる仕組みを取り入れていました。
大谷選手が高校1年生のときに書いた有名な目標が、
「ドラフトで8球団から1位指名を受ける」
という、あの “64マスの目標シート(マンダラチャート) です。
ここでポイントになるのは、
- 監督や親に「やらされる」目標ではなく
- 自分で書いたゴールに対して、日々の行動やミスの指摘を全部“自分事”として紐づけていった
ということです。
例えば、
- 寝坊 → 「一流になる生活習慣として甘い」
- 掃除をサボる → 「8球団1位指名を目指す人間の行動としてふさわしくない」
といった形で、叱られた内容はすべて「自分で掲げた大きな夢」とのギャップとして整理されます。
その結果、
- 「なんでそんなミスをしたんだ」と怒られた、ではなく
- 「自分の目標に対して、行動が足りていなかっただけ」と理解できる
という 前向きな叱られ方のフレーム ができあがっていきました。
プロ入り後の批判やプレッシャーを大谷翔平はどう処理してきたのか?

日本ハム時代の「二刀流は無理」という声をどう受け止めたのか?
日本ハム入団時から、大谷選手の「二刀流構想」には賛否両論がありました。
- 「二刀流なんてプロでは通用しない」
- 「どっちつかずで中途半端になる」
といった意見は、日本だけでなく海外メディアからもたびたび聞こえていました。
それでも大谷選手は、
- 一つひとつの意見を“感情的に否定”するのではなく
- 自分の練習・調整方法を見直すヒントがないかだけを拾い
- あとは 「結果で静かに答える」 というスタンスを貫きます。
実際、日本ハム時代には、
- 投手として二桁勝利
- 打者として本塁打・OPSでもリーグ上位の成績
を残すことで、「叱られ力」を実績で裏打ちされた説得力に変えていきました。
MLB初期の「厳しい評価」をどう乗り越えたのか?
2018年、MLB挑戦当初のオープン戦で、打撃も投球も結果が出なかった時期、大谷選手はアメリカメディアから厳しい評価を受けました。
- 「どちらの役割もメジャーレベルではない」
- 「マイナーで再調整が必要」
といった声が多く上がりましたが、それでも彼は、
- 「同じ準備を続ける」
- 「やるべきルーティンを変えすぎない」
という姿勢を崩しませんでした。
これはまさに、
- 批判=人格否定ではなく
- 「自分の現在地を知る外部センサーの1つ」
と捉える、大谷流の叱られ力の表れです。
シーズンが始まってからは、
- 投打両方で歴史的な活躍を見せ
- シーズン終了時には「彼を見誤った」と評価を改めるメディアが続出
という形で、“結果で会話する”叱られ力の最終形を見せてくれました。
私たちは大谷翔平の「叱られ力」をどう仕事や勉強に応用できるのか?

ここからは、大谷選手のエピソードを、私たちの仕事・勉強・日常に落とし込むヒントとして整理します。
① 叱られた内容をいったん「ノート化」してみる?
大谷選手の原点は、父との「野球ノート」でした。
私たちも、まずはシンプルに真似できます。
- 上司・先生・先輩から言われたことをそのまま一行メモにする
- その横に「感情」と「事実」を分けて書く
例)
- 事実:資料提出が締切を過ぎた
- 感情:恥ずかしかった/悔しかった
このように 頭の中から紙の上に“いったん退避”させるだけで、感情のモヤモヤが整理され、改善点が見えやすくなります。
② 指摘を「自分の目標」と紐づける?
花巻東時代の大谷選手は、叱られたことをすべて 自分の「8球団1位指名」というゴールとのギャップ として捉えていました。
私たちも同じように、
- 「もっと丁寧にやれ」と言われたら
- 自分の目標(売上◯円/フォロワー◯人/資格試験合格など)との距離を測る材料として扱う
- 「準備不足だ」と指摘されたら
- 「目標に対して、準備にどんな一手を足せばいいか?」と問い直す
という形で、
「怒られたショック」 → 「ゴールに近づくための調整情報」
へと変換していくことができます。
③ 反論よりも「小さな実験」を先にやってみる?
大谷選手は高校〜プロ初期にかけて、
- まずは指導者の言う形を「一度、素直にやってみる」
- そのうえで、自分の感覚とデータをもとに微調整していく
というスタイルを徹底していました。
私たちも、言い返したくなる場面ほど、
- 「とりあえず1週間だけ、言われた通りにやってみる期」を決める
- その結果を数値や手応えで振り返る
- 自分のやり方とブレンドして“自分流”にしていく
というプロセスを踏むことで、叱られた内容を“検証可能な仮説”に変えることができます。
④ 「結果で会話する」と決めておく?
大谷選手は、
- 感情的に言い返すのではなく
- 次の試合・次のシーズンの「数字」で静かに答える
というスタンスを貫いてきました。
日常レベルでも、
- 口で正当化するより、次回の提出物のクオリティで示す
- 「最近どうした?」と言われたら、次の成果物のレベルを一段上げる
といった形で、「結果で会話する」ことを自分のルールにすると、叱られ力が一気に前向きなエネルギーに変わります。
大谷翔平叱られ力まとめ
大谷翔平選手のこれまでのキャリアを、10代〜20代前半から振り返ると、
- 父との野球ノートで、事実ベースの振り返りと自己対話の習慣を身につけ
- 花巻東高校での厳しい生活指導を、「理不尽な罰」ではなく「成長メニュー」として受け止め
- 日本ハム〜MLB初期の批判も、感情ではなく“データ”として扱い、結果で静かに答えてきた
という一貫した 「叱られ力のストーリー」 が見えてきます。
私たちにとっても、
- 叱られた数より、「叱られ方のセンス」こそが成長スピードの差になる
- ノート化・目標との紐づけ・小さな実験・結果で会話、という4つのステップで叱られ力は鍛えられる
- オフシーズンの今だからこそ、「成績」だけでなく「フィードバックの活かし方」に目を向けると、仕事や勉強に直結する学びが手に入る
という気づきを、大谷翔平の歩みから受け取ることができます。
「叱られるのが怖い」から一歩進んで、
「叱られ力を鍛える」と決めた瞬間から、成長の角度は大きく変わっていきます。
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よくある質問/Q&A
Q1. 大谷翔平のような「叱られ力」は、才能がないと身につきませんか?
A1. 叱られ力は、才能よりも「習慣」の要素が強いです。
ノートに事実を書き出す・感情と事実を分ける・小さく試す、といったプロセスを繰り返すことで、誰でも少しずつ鍛えることができます。
Q2. きつい言い方で叱られると、どうしても落ち込んでしまいます。どうすればいいですか?
A2. まずは一度、その場から時間を置くことが大切です。
落ち着いてから、「言われ方」ではなく「言われた中身」だけをノートに抜き出してみてください。
言葉のトゲを取り除き、「事実ベースの指摘」だけを見る練習を続けることで、少しずつメンタルの揺れは小さくなっていきます。
Q3. 明らかに理不尽だと感じる叱られ方のときは、どう受け止めればいいですか?
A3. その場合は、すべてを飲み込む必要はありません。
- 事実として役に立つ部分だけを残す
- 残りは「その人の機嫌や価値観」として横に置く
という線引きをしてOKです。
大谷選手も、すべての評価を真に受けるのではなく、「自分の軸」との距離感を保ちながら必要な部分だけを取り入れてきたと考えられます。
Q4. 子どもや部下に「叱られ力」を身につけてもらうには、どう接すればいいですか?
A4. ポイントは「感情で怒鳴る」のではなく、
- 事実と行動にフォーカスして伝える
- ノートやメモなど“外部の器”に一緒に書き出す
- 次に何をするかを一緒に決めて、できたらしっかり褒める
という3ステップです。
大谷選手の父や高校の指導者たちのように、「叱る」のではなく「成長の設計図を一緒に描く」というスタンスが、相手の叱られ力を自然と育てていきます。

