テレビ宮崎のアナウンサーで、宮崎県ボッチャ協会副会長でもある柳田哲志さん。
2008年に尻相撲のイベントで重傷を負い、一時は全身麻痺になったという衝撃的な事故を乗り越え、社会復帰を果たした彼の現在とプロフィールについて紹介します。
柳田哲志さんのプロフィール
柳田哲志さんは、1967年9月1日生まれで、宮崎県宮崎郡佐土原町(現在の宮崎市)出身です。
同志社大学を卒業後、1992年にテレビ宮崎に入社しました。スポーツ番組やニュース番組など、幅広いジャンルの番組を担当してきました。
また、宮崎県ボッチャ協会副会長として、障がい者スポーツの普及にも力を入れています。
柳田哲志さんは、事故前に一般の女性と結婚しており、長男と長女の2人の子供がいます。家族仲は非常に良く、事故後も夫婦仲は変わらず、子供たちも父親を尊敬しています。
柳田哲志さんが事故で重傷を負った経緯
2008年6月14日に「JAGAJAGA天国」という番組の生放送中に尻相撲のイベントに参加した柳田哲志さんは、水田に頭から飛び込んでしまいました。
その衝撃で頚椎骨折・脊髄損傷の重傷を負い、一時は全身麻痺の状態に陥りました。命の危険もありましたが、奇跡的に回復しました。
しかし、事故後も柳田哲志さんは諦めませんでした。3年10ヶ月にわたって必死にリハビリに取り組みました。
肩の力だけで車椅子を操作したり、パソコンを使ったりできるようになりました。また、ITパスポート試験に合格するなど、情報処理関係の国家資格も取得しました。
柳田哲志さんがテレビ出演を再開した経緯
2011年8月21日には、「24時間テレビ「愛は地球を救う」」(宮崎ローカル)で3年ぶりにテレビ出演を果たしました。
その際には、「私は死ななかった。生きている」というメッセージを伝えました。視聴者からは感動や励ましの声が寄せられました。
2012年4月7日からは、「マッポス」という番組でレギュラー番組復帰を果たしました。
この番組では、柳田哲志さんが宮崎県内のさまざまな場所を訪れて、人々と交流したり、グルメや観光スポットを紹介したりしています。
現在は、「みやざきゲンキTV」という番組でメインMCを担当しています。この番組では、柳田哲志さんが宮崎県の元気な人やモノやコトを紹介しています。
柳田哲志さんが講演会を開催している理由
柳田哲志さんは、事故後も前向きに生きる姿勢や、障がい者に対する理解を深めるための講演会も開催しています。
柳田哲志さんは、自分の体験を語ることで、人々に勇気や希望を与えたいと考えています。また、障がい者と健常者の間にある壁や偏見をなくしたいと願っています。
柳田哲志さんは、「障がい者でもできることはたくさんある」というメッセージを伝えています。彼は、自分の夢や目標を持ち続けることが大切だと語っています。
柳田哲志現在まとめ
テレビ宮崎のアナウンサー・柳田哲志さんの現在とプロフィールについて紹介しました。
柳田哲志さんは、尻相撲のイベントで重傷を負ったという衝撃的な事故を乗り越え、社会復帰を果たした人物です。
彼は、テレビ出演だけでなく、講演会や障がい者スポーツの普及にも力を入れています。彼の前向きに生きる姿勢やメッセージは、多くの人々に感動や励ましを与えています。
最後までご覧いただきありがとうございました!
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