明治天皇はすり替わりではなかった!大室寅之祐の父親とその血統について徹底解説!

こんにちは。今回は、明治天皇にすり替わったという説がある大室寅之祐の父親とその血統について調べてみました。

この説は本当なのでしょうか?それとも嘘なのでしょうか?その真相に迫ってみましょう。

スポンサーリンク
目次

大室寅之祐とは?

大室寅之祐は、明治維新の時代に活躍した人物です。彼は高杉晋作が組織した奇兵隊に参加し、倒幕運動に貢献しました 。

彼は南朝の末裔であり、長州藩に住んでいた大室家の出身だとされています 。

しかし、実際には彼の父親は海賊の作蔵という人物であり、大室家の血統とは無関係でした。

作蔵は地家吉佐衛門の養子となり、地家作蔵と名乗りました。彼は寺娘のスヘと結婚し、1850年に長男の虎吉をもうけました。スヘは京都浄土真宗の大谷家の血筋でした。

虎吉が4歳のころ、作蔵とスヘは離婚し、虎吉はスヘに引き取られました。そしてその年にスヘが再婚したのが、大室弥兵衛だったのです。

これにより虎吉は大室姓を名乗り始めました。しかし、彼は大室家の血を一滴も受け継いではいなかったのです。

再婚の翌年の1855年、弥兵衛とスヘとの間に寅之助が生まれました。しかし、寅之助は1歳数カ月で早世しました。

弥兵衛もその後再婚しましたが子どもができないまま死去し、大室家の血統はここで断絶しました。

しかし、虎吉は早世した異父弟・寅之助になりすまし始めました。

そして高杉晋作が組織した奇兵隊に参加したことで、寅之助になりすました虎吉が南朝の末裔として注目され始めたのです。

以後、寅之助になりすました虎吉を「寅之祐」と表記していきます。

スポンサーリンク

明治天皇とすり替わった説とその反証

引用元:Wikipedia

この寅之祐が1867年に孝明天皇の第二皇子・睦仁親王とすり替わって明治天皇になったという説があります 。

その説によれば、睦仁親王は毒を盛られて暗殺され、その遺体は布で巻かれて隠されました 。寅之祐は以後明治天皇にすり替わり、倒幕の密勅を下し、大政奉還の上奏を勅許したとされています 。

しかし、この説には決定的な物証がなく、歴史学的にも否定されています 。明治天皇が睦仁親王であったことを示す証拠や証言も多数あります 。

また、寅之祐自身も明治天皇ではなく自分自身であることを認めています 。

例えば、明治天皇は1868年に京都御所に入りましたが、その際には睦仁親王の母親である中宮・慶子内親王や兄弟姉妹たちとも対面しています 。

彼らはすべて明治天皇が睦仁親王であることを確認しています 。また、明治天皇は1869年に東京へ移りましたが、その際には睦仁親王の父親である孝明天皇の遺体とも対面しています 。

彼は孝明天皇の遺体を見て「父上」と呼び、涙を流しています 。これらの事実は、明治天皇がすり替わったという説と矛盾しています 。

また、寅之祐は1870年に長州藩主・毛利敬親の娘・久子と結婚しましたが、その際には自分が大室家の出身であることを公言しています 。

彼は明治天皇ではなく自分自身であることを隠そうともしませんでした 。彼はその後も長州藩の重臣や政府要人と交流し、大室家の名跡を継いだことを誇りに思っていました 。

スポンサーリンク

大室寅之祐 父親まとめ

以上から、明治天皇がすり替わったという説は根拠がなく、歴史的事実とも合致しないことがわかります。

大室寅之祐の父親は海賊の作蔵であり、大室家の血統とは無関係でした。寅之祐は早世した異父弟・寅之助になりすましましたが、明治天皇になりすましたことはありませんでした。

彼は自分が大室家の出身であることを認めており、明治天皇とも別人であることを示しています。

このように、大室寅之祐の父親とその血統について調べることで、明治天皇がすり替わったという説は嘘だったことが明らかになりました。

歴史には様々な謎や伝説がありますが、それらを信じる前に、しっかりと事実を確かめる必要がありますね。

最後までご覧いただきありがとうございました!

スポンサーリンク
よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする

目次