日本ハムに入団した18歳の大谷翔平選手が、チームの空気を一瞬で変えた――そんな“伝説の始まり”として語られているのが、新人時代のブルペンで披露した剛速球です。
当時捕手だった近藤健介選手は、その球を目の前で受けた衝撃を振り返り、「150キロ台後半の球、捕れるわけない!」と感じるほど怖かったと語っています。
新人とは思えない球の強さが、先輩たちの表情まで変えた出来事でした。
18歳のブルペンで起きた「空気が変わる」瞬間

大谷翔平選手がプロ1年目だった頃、春先のブルペンで投げた球が想像を超えていました。
球速だけでなく、球の勢いと重さ、そして伸び方が別格で、「受ける側の準備が追いつかない」感覚があったといいます。
捕手はボールを“止める”だけではなく、捕球で投手のリズムを作る役割も担います。
ところが、その日の大谷翔平選手の球は、捕球以前に「反射で身体が固くなる」ほどのインパクトを持っていました。
新人のはずなのに、ブルペンが一気に真剣な空気に切り替わったのは、それだけの説得力が球にあったからです。
近藤健介が震えた「150キロ台後半」の現実
近藤健介選手が特に強烈だと語ったのは、球速が常時150キロ台後半に届くレベルだったことです。
当時の自分は、そこまでの球を日常的に受ける経験が多くなかったため、「捕れるわけない」と感じるほど怖さが勝ったと振り返っています。
ここで重要なのは、恐怖がネガティブな意味ではない点です。
プロの世界で“怖い”と感じるほどの球は、それだけ武器として完成度が高いという証明でもあります。
実際に、近藤健介選手の言葉からは「新人なのに本物だった」という驚きと敬意がにじみます。
「怖さが勝っていた」からこそ見える凄み
速い球は世の中にありますが、受け手が身構えるのは“速さ+球質+予測の難しさ”が揃った時です。
18歳の大谷翔平選手の球がまさにそれで、捕手としての経験があるからこそ、危険ではなく「規格外」を本能で察知した形です。
先輩捕手の反応が物語る「別格の存在感」

近藤健介選手は、当時の先輩捕手たちの反応も印象的だったといいます。
周囲にいた捕手陣が「やばい、こいつ…」という雰囲気を見せたことで、衝撃がチーム内で共有された空気が生まれました。
新人投手のボールに対して、先輩が驚くことはあっても、言葉を失うほどの反応は簡単には起きません。
それが起きたという事実は、18歳の時点で「将来の中心選手」ではなく「すでに中心級の武器」を持っていたことを示しています。
日本ハム新人時代の剛速球が「伝説の始まり」と呼ばれる理由
このエピソードが語り継がれる理由は、球速の数字だけではありません。
新人の段階で、受け手が恐怖を感じるほどの球を投げられる投手は多くありませんし、その瞬間に“常識の更新”が起きるからです。
さらに、大谷翔平選手はその後、投手としての完成度だけでなく、打者としても世界的な評価を積み上げていきました。
だからこそ、18歳のブルペンの剛速球は「最初からスケールが違った」という物語として強く残ります。
恐怖は一過性の驚きではなく、未来を先取りした確信に近い感情だったのです。
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大谷翔平近藤健介が明かす新人年の衝撃まとめ
日本ハム時代の18歳・大谷翔平選手が投げた剛速球は、近藤健介選手が「捕れるわけない」と感じるほどの衝撃でした。
先輩捕手たちが思わず「やばい、こいつ…」という空気になるほど、新人離れした球速と球質があり、ブルペンの空気が一瞬で変わったと語られています。
この出来事は、のちの飛躍を知る今だからこそ「伝説の始まり」として説得力を増し、当時の驚きがそのまま“大器の証明”として残り続けています。
