大谷翔平の追悼メッセージにはどんな思いが込められていたのか?

大谷翔平選手は、6月3日に89歳で逝去した長嶋茂雄氏の「お別れ会」(11月21日・東京ドーム)に、ビデオメッセージで深い敬意を表しました。
その中で「後光が差しているように見えました」という衝撃的な表現を用い、初対面の瞬間に感じた長嶋氏の“圧倒的な存在感”を語っています。
さらに、大谷選手は「つないでいただいたバトンを次の世代につないでいくのが私たちの使命です」と述べ、野球界の未来を担う責任を明確に示しました。
このメッセージからは、長嶋氏への深い敬意とともに、大谷翔平選手自身がその精神を受け継ぐ覚悟が伝わってきます。
初対面の長嶋氏をどう見たのか?
大谷選手が長嶋茂雄氏と初めて会ったのは、2016年12月の対談企画でした。
その際、「後光が差しているように見えました」と語るほど圧倒的なオーラを感じ取ったと振り返っています。
今年3月15日の東京ドームでの巨人戦前にも再会し、これが長嶋氏の公の場での最後の姿となりました。
亡くなった当日、大谷選手はインスタグラムで追悼文を投稿し、その試合で本塁打も放ちました。
「実際にお会いして、すごく野球に対する愛情が深い方だと感じた」と語るなど、レジェンドへの敬意が随所ににじみ出ています。
追悼メッセージ全文とは?
大谷翔平選手が「お別れ会」で読み上げた追悼メッセージ全文は以下の通りです。
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「大谷翔平です。まず初めにご逝去の報に接し、心からお悔やみ申し上げます。また、長嶋茂雄さんがこれまで残してきたご功績と、人々の記憶に残るそのご活躍に、野球に携わる一人の後輩として心より感謝申し上げます。長嶋さんと初めて食事をご一緒させていただいた時、僕はその姿に後光が差しているように見えました。そういうふうに見える方というのは初めてだったので、今でもその衝撃度はよく覚えています。長嶋さんがこれまで歩んでいた道のりを改めて振り返ると同時に、僕たちにつないでいただいたバトンを次の世代につないでいくのが、私の、そして私たちの使命だと今は強く思っています。そして、長嶋茂雄は永久に不滅だと未来永劫、野球界のみならず、日本のスポーツ界において、その人柄と功績が燦然と輝き続けると確信しています。長い間お疲れ様でした。短くはありますが、以上で私からの追悼の言葉とさせていただきます」
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全文を通して、大谷選手の温かさ、敬意、使命感がはっきりと伝わります。
長嶋茂雄氏は大谷翔平をどう評価していたのか?
長嶋氏は生前、大谷翔平を強く支持しており、2023年に2度目の満票MVPを受賞した際には次のように絶賛しています。
「大谷君は本当にすごい。春にはWBCで世界一、秋にはMLBでMVP。世界のトップオブトップになった。“史上初”という言葉がよく似合う。日本がメジャーに肩を並べたと言ってもいい」
「努力すれば大谷になれる。しかし、並大抵の努力では大谷翔平にはなれない。日本中の希望だ」
互いを深く尊重し合う関係性が、時代を象徴する強い絆となっていたことがわかります。
大谷翔平長嶋茂雄追悼メッセージ全文まとめ
大谷翔平選手の追悼メッセージは、単なる哀悼を超えて、レジェンドへの敬意と次世代を担う決意が込められた力強いものです。
「後光が差しているように見えた」という表現には、大谷選手の目に映った長嶋氏の圧倒的存在感が凝縮されています。
受け継がれたバトンは、これからの野球界を担う選手たちへと確実につながっていくことでしょう。
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よくある質問/Q&A
Q1:大谷翔平が語った「後光が差している」とはどういう意味ですか?
A1:初対面時に長嶋氏の圧倒的な存在感やオーラを“神々しい光”として感じた比喩表現です。
Q2:大谷翔平と長嶋茂雄はどれくらい交流があったのですか?
A2:初対面は2016年、その後も東京ドームでのイベントなどで直接対面し、互いに敬意を持ち続けた関係でした。
Q3:なぜこの追悼メッセージがこれほど注目されているのですか?
A3:日本野球界のレジェンド・長嶋茂雄氏と、現代の象徴・大谷翔平、その世代を超えた“継承”が明確に示されたためです。

