ロサンゼルス・ドジャースの「16」から「17」へ──メジャーへの道を拓いた野茂英雄と大谷翔平の“夢”の継承!

こんにちは。今回は、ドジャースの「16」から「17」へと背番号が受け継がれた野茂英雄と大谷翔平の物語についてお話しします。

彼らはどのようにしてメジャーリーグに挑戦し、日本人投手としての新たな歴史を刻んだのでしょうか。

また、彼らの“夢”はどのようにして次の世代に引き継がれているのでしょうか。

それでは、一緒に見ていきましょう。

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目次

野茂英雄のメジャー挑戦──日本球界との訣別から始まった伝説

野茂英雄は、1990年にドラフト1位で近鉄バファローズに入団し、いきなり投手部門の3冠やMVP、沢村賞などタイトルを独占しました。

その後も4年連続最多勝に輝くなど日本のエースとして活躍しながら、5年目のシーズンオフ、近鉄球団との交渉が決裂して単身渡米しました。

ドジャースと契約、最低年俸でのスタートでしたが、上半身を大きく回転させる独特の「トルネード投法」から繰り出す速球とフォークボールで大リーガーをきりきり舞いにしました。

野茂のメジャー挑戦は、日本球界との訣別から始まりました。

当時、メジャーに挑戦する方法が確立されていなかった時代でした。

野茂の代理人を務めた団野村は、野茂の口から「メジャーに行きたい」と聞いて、日米協定や日米の野球協約を調べ尽くしました。

そこで、日本で“任意引退”となれば、米国ではFAと解釈されて移籍できることがわかりました。

NPBから「任意引退選手は海外でプレー可能」とする書面も取れたので、問題はどう任意引退にできるかでした。

野茂サイドは契約更改で「FAまでの6年間で24億円」の巨額契約を要求しました。

近鉄側が口にした「契約しないと任意引退にする」という台詞に素直に応じ、メジャーリーガー野茂が誕生したのです。

野茂は「近鉄からの“任意引退”という方法を選んだことで、我々は大バッシングを受けた。それを覆すために、野茂君は『成績を残すしかない』と覚悟を決めたんです」と振り返っています。

引用元:週間ベースボール

野茂英雄のメジャー挑戦──「トルネード旋風」でメジャーを席巻したドクターK

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晴れて1995年、ドジャースに入団した野茂は鮮烈なデビューを飾りました。

前年からのストライキで開幕が遅れ、5月2日のジャイアンツ戦でメジャーデビューを果たしました。

全盛期の主砲、バリー・ボンズら並み居る強打者と真っ向勝負しました。

初回、2死満塁のピンチで空振り三振を奪ったフォークボールと、90マイル台後半(150キロ台後半)のストレートで5回1安打7奪三振の快投を見せました。

この日から、海を渡ったドクターKが、「トルネード旋風」を巻き起こしていきました。

デイリースポーツの元編集局長・平井隆司は、野茂のメジャー挑戦をこう回想しています。

「トルネード投法で三振の山を築き、日本と全米のファンを魅了した。ドジャー・スタジアムには熱狂的な『NOMOマニア』が押し寄せ、先発する日は観客が1万人も増えました。日本人で初めてオールスター戦に出場し、ランディ・ジョンソンとの“日米ドクターK対決”も注目を集めた」。

前年のストライキによってファンが離れつつあった状況で、野茂の人気はメジャーリーグ全体を救ったとまで称えられました。

1年目から13勝6敗、防御率2.54、236奪三振の成績を残し、奪三振王と新人王に輝きました。

以降、史上2人目の3年連続200奪三振を記録し、「日本人はメジャーで通用しない」という先入観を打ち破りました。

1996年と2001年にはノーヒット・ノーランも達成しました。後に続くイチローや松井秀喜ら日本人メジャーリーガーの道を拓きました。

引用元:集英社

大谷翔平のメジャー挑戦──「二刀流」の道を切り拓いたトップランナー

大谷翔平もまた、「二刀流」の道を切り拓いたパイオニアです。

花巻東高(岩手)からNPBを経由せずにメジャー挑戦を目指し、プロ入り前から「二刀流」を希望した姿を、野茂はこう評していました。

「彼は『二刀流』という大きな流れを切り拓くトップランナーだ。プロである以上、観客に夢を与えることが一番だ。これまで誰もできなかったことができている。まさに夢だ」と語りました。

引用元:NHKニュース

大谷翔平のメジャー挑戦──ドジャースの「17」を背負ってワールドシリーズを目指す

大谷翔平は、2023年オフにエンゼルスからフリーエージェントになり、メジャー史上最高額となる10年7億ドル(約1015億円)の契約でドジャースに移籍しました。

ドジャースは、2020年にワールドシリーズを制覇した後、2021年と2022年は敗退し、2023年はワイルドカードゲームで敗れてしまいました。

大谷は、ドジャースの「17」を背負って、チームの再起をかける2024年シーズンに臨みます。

大谷は、ドジャースの正式発表会見で、移籍の理由をこう語りました。

「ドジャースは、常にワールドシリーズを目指すチームであり、その一員になれることは光栄です。私は、二刀流としてチームに貢献したいと思っています。ロサンゼルスは、日本人の多くのファンがいる街であり、私にとっても魅力的な場所です。ドジャースのファンの皆さんに、素晴らしいプレーを見せたいと思っています」。

大谷は、2024年シーズンには投手としての復帰は見送られ、打者としてのみの出場となります。

しかし、それでもドジャースのラインアップには大きなインパクトを与えることでしょう。

大谷は、2021年には46本塁打、2022年には34本塁打、2023年には44本塁打と、3年連続でリーグ30本塁打以上を記録しました。

また、打率や出塁率も高く、四球や盗塁も多く、打者としての総合力は抜群です。

大谷は、ドジャースの「16」から「17」へと背番号が受け継がれた野茂英雄との関係についても触れました。

「野茂さんは、日本人投手の先駆者であり、私の憧れの一人です。野茂さんが着けていた背番号を受け継ぐことは、大きな責任と誇りです。野茂さんが残した偉業に劣らないように、精一杯頑張りたいと思っています」。と語りました。

※おすすめ記事!【完全版】大谷翔平選手の学生時代!はコチラ

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大谷翔平夢の継承まとめ

大谷は、野茂が切り拓いたメジャーへの道をさらに進化させ、日本人投手としての新たな歴史を刻んできました。

そして、ドジャースの「17」を背負って、ワールドシリーズの舞台に立つことができるでしょうか。

2024年シーズンが始まるのが待ち遠しいです。

この記事が、野球ファンの皆さんにとって興味深いものになったら嬉しいです。

最後までご覧いただきありがとうございました!

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