涅槃で待つとは何か?沖雅也さんの遺書に隠された悲劇的な物語!

涅槃で待つという言葉を聞いたことがありますか?

この言葉は、仏教用語である涅槃と、死後の世界で待つという意味を組み合わせた表現です。しかし、この言葉の背景には、悲劇的な物語が隠されています。

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目次

涅槃【ねはん】とは?(で待つ)

引用元:Gooブログ

涅槃とは、仏教で説かれる、すべての煩悩の火が消えて、悟りの智慧を完成した境地を指します。

涅槃に達した者は、迷いや悩みを離れた安らぎの境地にあります。仏教では、生死の輪廻から解脱することが最高の目標とされています。

涅槃で待つという言葉は、煩悩を吹き消した悟りの境地で待っているという意味で使われます。

しかし、受け取り方によっては、先に死んでしまった人が後を追ってほしいというニュアンスが感じられる表現でもあります。

なぜ有名になったのか?

この言葉が有名になったのは、1983年に自殺した俳優の沖雅也さんが、事務所社長で養父でもあった日景忠男さんに宛てた遺書に「おやじ、涅槃で待つ」と書き残したことからです。

沖さんと日景さんは、ただならぬ関係で話題を呼びましたが、沖さんの自殺の原因は日景さんとの愛憎のもつれとも言われました。

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日景さんとの関係

沖さんは、日景さんから芸能界入りを手伝ってもらったことから、彼に恩義を感じていました。

しかし、日景さんは沖さんに対して性的な関心を持ち、彼を自分だけのものにしようとしました。

沖さんは日景さんから逃れるために結婚したり海外に行ったりしましたが、日景さんは執拗に追いかけてきました。

沖さんは日景さんから解放されることを望んでいましたが、同時に彼を愛していることも否定できませんでした。

沖さんのメッセージ

沖さんは自殺する前日に日景さんと電話で話しました。その内容は不明ですが、沖さんは日景さんに「おやじ」と呼びかけて別れました。

そして翌日、沖さんは自宅で首を吊って死亡しました。遺書には「おやじ、涅槃で待つ」という一文だけが残されていました。

この言葉は、沖さんが日景さんに対して抱いていた感情を表しています。

沖さんは日景さんに会いたいと思っていましたが、現世ではそれが叶わなかったからです。

沖さんは涅槃という理想的な世界で日景さんと再会することを願っていましたが、それは同時に自分の死を望むことでもありました。

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涅槃で待つまとめ

涅槃で待つという言葉は、仏教の教えとは裏腹に、死を美化する危険な言葉でもあります。

沖さんの遺書は、多くの人々に感動を与えましたが、自殺を助長する可能性もありました。

涅槃で待つという言葉は、沖さんと日景さんの特別な関係を象徴する言葉ですが、決して真似すべき言葉ではありません。

最後までご覧いただきありがとうございました。

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